平安時代に貴族が乗るものとして、「輿」があった。
その中でも、神様がお乗りになるものが、「神輿」でありました。
現存する最古の神輿は、平安時代末期に作られたとされる、
「沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじらでんこんどうそうしんよ)」である。
(和歌山県紀の川市 鞆渕八幡神社内)
「宵越しの銭は持たない」という江戸っ子の気質を表す言葉がありますが、
平和な世ではあったものの、貯蓄に回す程、裕福ではなかったこともあるようです。
禁教令や、交通網をわざと整備しなかったこと等、江戸の庶民にはうっぷんが溜まっていた。
そのうっぷんを発散させるため、幕府が、浅草神社や根津神社に神輿を寄進したという説があるそうです。
江戸の祭では、宮神輿が1基と、各町会の数の山車があり、繰り出していた。
明治になり、街中に電線が張り巡らされたことにより、山車では電線にぶつかるため、
各町会でも、町会神輿が広まったそうです。
昭和9年に浅草の「宮本卯之助商店」で造られたものです。
「宮本卯之助商店」は、三社祭の本社神輿も造られています。
作人札には、「宮本重義作」とありますが、「重義」は、義を重んじること、
正しい行いをすることを意味しているとのことです。
南谷戸の神輿の様式は、「延屋根・漆塗り・三つ巴(屋根紋)・角台輪」です。
↓下の写真は、昭和8年頃の、「宮本卯之助商店」のものです。
(こんな時代に作られた、歴史のある神輿なんですね。)
南谷戸の神輿は、他の神輿と比べても、大きさ風格と決して引けを取らない
立派な神輿です。私たちも、豪快に担ぎたい気持ちです。